鬼街〜かくれんぼ

序章

 

 

東京のような繁華の町中でも、夜分だけは隠れんぼはせぬことにして居る。

夜、隠れんぼをすると鬼に連れていかれる。

(柳田国男『山の人生』より)

 

 

禁・・・という接頭語の付いたものに子供たちは興味づくものです。

それは誰でも望めば垣間見る事ができたでしょう。危険は伴うけれども、興味は薄れません、薄れません。

どうやら、この街では物陰が多すぎるようだ。

こんな陰鬱な街では子を取る存在を特に恐れたものだ。

子を取る理由は諸説あり。

罪も無い子供の油や血を取って、何に使うものかわからぬが、子を取る者達はそういうものを欲しておる。

南京皿の染め付けに使う等ともいいますな。

ともあれ、子供の遊技で一番不安なものは隠れんぼなのです。

嗚呼、今晩も、親の目の居ぬ処、子供が隠れまする。

 

 

 

大きな荒廃した骸築都市の中に、外部の人間から鬼街と呼ばれている地区がある。

この街は都市の中心から数十里外れた処にあり、どこかが古臭く、陰鬱な感じで、派手な電光掲示板も人を招き入れるという役割はすでになくなっており、邪悪な色彩にしか街を見せられない。

派手な看板は何を表現していても、交差した建物の迷路の中では無意味であった。

悪趣味としか言えない自己主張のみの芸術作品であり、不規則な点灯によって粗悪品特有の幻想的なイルミネーション・シアターとしてその存在が確立されている。

その明滅は病的に建てられた建物をさらに病的に、いや、病巣であるかのように不気味に照らし出している。

この街の建築物は、一つの建物をベースに増幅するので、どこからどこが一つの建物かがわからない。建てたビルの壁を利用してもう一つのビルが横に建つ事など、ほぼ、毎日の事である。

まるで亜明婆と呼ばれる生物のようだ。

こうしてただただ巨大になって、今の大きな名も無き都市となったのだろう。

大きな都市にはこの鬼街のような街、地区と呼ばれるものが数えきれないほど存在、もしくは誕生し続けている。それぞれが違った生活習慣を持っており、ある意味、地区地区がそれぞれ違った異世界であると考えてもよい。

住まう人、根付く信仰、常の識、陰陽の法則、笑いや嘆きの意味、腐物をあさる犬たちが吠える理由・・・すべてが違う意味を成し、結果「分けられた」。

どこからが区別されているのかもわからないほど混じりあった街でも、必ず決まった区別線からはその街の色は浸蝕していかないのである。

 

 

鬼街。

ここの住人は蟲から身を守る為に防蟲面を付けている。

近年、この地区周辺に被害が増加している、電光掲示板に集まる夜光蟲による蟲煙肺炎。

肺の中に無数の羽蟲が侵入し、あらゆる致死性ショック症状があらわれる。

そんな中、この鬼街は蟲で生計をたてている者がほとんどであった。

養蚕である。

ここで飼われる蚕は『トコヨ』と呼ばれる、ネオン害蟲の幼蟲である。

白く柔軟な身体の中に、ネオン燈が入っているように薄ぼやけた光を自ら発する。

この光がさらに仲間を呼び、彼等は一群となって夜が来るのを待つ。

夜が来て電光が点る頃、彼等は集まり、怪しい光をさらに怪しく曇らせ、猥雑な音で深夜から明け方まで騒ぎ立てる。

このネオン害蟲の幼蟲『トコヨ』が吐き出す糸は、この街を含め、都市全体に広く普及され「吐宝」と呼ばれる。

光ファイバー質の「吐糸」は、この毎刻毎瞬、誰の手によってか増加し続ける建築物に使用するワイヤー代わりとなる。

 

また、この鬼街では、街の名前の通り異形の存在が恐れられていた。

その存在は「油取」「子取」「血取」「胆取」と呼ばれて、どの者に掴まっても命は無い。

彼等はいつしかこの退廃した街で生まれた「鬼」と呼ばれた。

「鬼」は夜を好み、物陰を好む。

ちょうどこんな街だ。

無闇矢鱈に、無秩序的で、無法則に建物が建てられ、建物と建物がいつの間にか交差し、同化し、一つの建物となる。

「鬼」たちはそんな街をとても好んだ。

 

「鬼」の跋扈する地区では、至る場所に汚らしく張り紙が貼られていた。

我が子を探し求める親が、自分の子供の似顔絵を描いて、至る所に貼るのである。

この街では子供達が消えていく。

子供達はある日の夜になると、少しづつ街の中へと消えていくのである。

こんな無感情な街だからなのか、我が子を求める似顔絵はどれも、同じに見える。

それもそのはず、この張り紙に意味がない事を描き手である親が知っているから。

子供達は防蟲面を被り、ほとんど顔をさらす事が生きている間にないからである。

張り紙は剥がされ、地面に積み重なっているものもあれば、顔に馬鹿馬鹿しい落書きをされているものもある。

中には等身大の子供の絵もあり、そうゆうものはこの街の子供の集まる殻倶駄(がらくた)広場に貼られるのだ。

この街で子を無くしたという時点で、親達は探す事は諦めているのであろう。そういった似顔絵や等身大の絵は子供が確かにこの街で存在していたという証しであり、墓標なのだと思われる。

 

 

この鬼の棲まう街は、ある日の夜だけは大人達は取り憑かれたかのように仕事をする。

ある日は、この街に暦がないので呼び名がないが、その日がくれば誰しも無言で仕事をし始める。

鬼哭日とでも名付けようか。

鬼が何度か、「錆び付いた線の路を走る、錆び付いた鉄車輪の電の車」のように恐ろしいほどの唸り声をあげる。

そんな日に、機械のような動きと表情で仕事をし始める。

 

 

嗚呼、可哀想なのは子供達だ。

外に出れば日のほとんど当たる事のない、ビル陰で寒い狭い道という遊び場しかない。遅くまで遊べば「鬼」に取られてしまうからね。

大人達は仕事に忙しくなると、子供の存在を忘れる。

大人達が忙しくなった時に、子供達は夜の街で、ある遊びを始める。

 

これは、大人達との決別も意味する、子供達だけの通過儀礼。

 

隠れんぼ。

 

隠れんぼをする度に子供が一人、又一人と建築物が作った帳に消えた。

 

 

 

 

続く