拾 子豚は鳴く
粘り着くような暖かさ。
ハイビスカスに包まれた小さな宿。
私はどうしてここにいる。
色鮮やかな蝶の庭園を見に?
波の花を見に?
いいえ、毎年こうして沖縄にいくのにはそんな浮かれた思いはない。
ごめんね、名も無きアナタ。
「あそこのガジュマルの木の下に行ってはならないよ」
宿の主人は笑いながら言った。
「三本あるでしょ。あのうち一本はマジムンが出るて、今もいわれてるよ」
私は毎年ここの宿に泊まるのだが、主人とこうして話すのは初めてだ。
今日の昼過ぎにチェックインしたいと連絡したのに、来てみれば部屋の掃除が済んでいなかった。
私は荷物を預けて時間までどこかへ散歩に行こうと思ったのだが、何度来てもこの辺りの地理に馴れない。
主人に簡単に書かれたこの辺りの地図のコピーをもらって、今まで行った事のない所にでも足を踏み入れようと考えていた時だ。
カウンター越しに薄ら笑いを浮かべた主人が手招きしてきたのだ。
「マジムンって、幽霊かなにかですか」
「ああそうだよ、そういう話がこの辺りには以外に多いんだな、これが」
私はそんな話は聞きたくない。
観光に来たわけでもないのに、心霊スポットの場所なんて聞いても意味がない。
「そう嫌な顔しなさんなって。いや、私もここはもう8年になるが、最近聞いた話によると昔から出るって噂があったらしいんだよ。でね、最近になってまた目撃した人がいてさ」
「いやだ、それってどこの事ですか」
詳しく聞くつもりはない。ただ、その方角さえわかれば近寄らないようにするし。
「ほら、出た所の潰れたスーパーあるでしょ?あそこのガジュマルの木さ」
私は嫌な気持ちが増幅された。
私はその近くに用事があるのだ。
というよりも、そこを通らねばいけない。
あの三本の薄気味悪い木がガジュマルという木なのか。
「あそこらに十字路あるでしょ。そこを差し掛かると木の上から何かが飛び下りて来るんだ」
私は首を横に振る。
「え、聞きたくない?」
頷く。
「別に見た目では恐いモノじゃないんだけどね」
主人は話したくて仕方がないらしい。
「誰か、何かされたの?」
主人は少し考えていた。きっと女性の私に言っていい事かどうかよく考えたのだろう。
結局言ったけど。
「マヴイ取られたせいで、産後の具合が悪くなって死んでしまったらしいよ」
心臓が数回、強く胸を叩いた。
「馬鹿らしい、たまたまじゃないんですか」
さあね、というような表情で首をかしげる主人。
「だけど、産婦が苦しみ始めたからって、実際にそこで取られたマヴイ取りかえす儀式も巫女さんにさせたらしいよ、あ、マヴイって魂の事ね」
この手の話は尾ひれが付くのはよくある事だ。
「こっちでは魂を落したなんだって、昔はそれを拾ったり、探しにいったりする儀式がけっこうあったらしいよ」
私はあまりこういう現実ばなれした噂は好きではない。
特に、こうして沖縄に来た時は常に他の事で頭をいっぱいにしている。
「それだけで十分、適当にぶらついてみます」
これ以上話を聞かない為に、私は簡単に書かれた地図を手に取り、出口へ向かって歩いた。
「ほんとらしいんだよ、豚のお化けなんだってさ。股の下潜られると危険なんだってさ」
「豚なんて、ここじゃ毎日食べてるでしょ、そんな噂もでますよ。じゃ、いってきまぁす」
「いってらっしゃあい・・・・・・・って、毎日なんて食べてやしないよ、結構これでも沖縄ばなれした食べ物にこだわってんだよ、ここは」
結局、目の前の三本のガジュマルを見上げる事になってしまった。
潰れたスーパーがさらに無気味さを増して見せている。こんな昼間なのに、市内でこんな淋しい場所があるなんて。
知っていたけどね。だからここに。
私はここに謝りに来た。
毎年、ここで謝るの。
謝りたいけど、アナタ。アナタには名前がないし、好きな食べ物だってわからない。
本当にごめんね。
ハンドバッグから、私が大好きな食べ物をくるんだ包みを出して、一本のガジュマルの木の根元に広げて置く。
お供物にしては変だけど・・・あまりそれらしくないものがいいと思ってね。
ブガ・・・ブガ・・・
何?
ブガ・・・ブガ・・・・ブガーーー!!
まさか・・・主人が言っていた・・・豚のお化け?
真ん中のガジュマルの木の上でガサガサという音がする。
だんだんと激しくなり、それと同時に豚に似た声が大きくなる。
少しづつ後ずさるけど、多分、あと数歩で動けなくなりそう。
ガジュマルの木からドサッと何かが落ちてきた。
・・・・・人だった。
「そ・・・それはニラ饅頭!!!ぶがーーー!!」
幽霊なんかじゃないじゃない!!人よ、人!!
しかも変態だわ!!
おでこに何で書いたかしらないけど・・
「気になるかい?お嬢さん」
途端に低い声で語りかける男。若いのか中年なのかはしらないけど、私に流し目使ってる。ええ、気になりますとも、そのおでこの「肉」の字。
「気になるならいたしかたありますまい、このTシャツ、ちょっと爬虫類臭いんだよネ」
Tシャツじゃねーよ!!
・・・・・そういうネタに付き合う気分はないのに・・・。
「ぶがー、ニラ饅頭、にらまんにらまん」
「ああ、持っていっていいですよ。それで、すいませんけど、一人にして下さい」
「お客さん?」
「はあ?・・・・誰なんです、おじさん」
肉と書かれたおじさんは悲し気に顔で潰れたスーパーを指さした。
「紫屋が潰れたので、ここで爬虫類臭いTシャツで補っておきました」
何を補っているのかは聞かない事にしよう。
「ここはいろいろ埋まってたけど、クッサイクッサイだったので拾いませんとも。ええ、拾いませんとも。」
ここは取りあえず私から立ち去ろうと思った。
「お嬢さん」
私は露骨に嫌な顔で振り向く。
「埋まっているブタマン、食べないで下さい。ニラマンと交換はできません」
私は青ざめた。そして、逃げるように走り去った。その場から。
気が付くと私はどこかの草むらにいた。
どうやって走ったかわからないし、地図を見てもここがどこかはわからなかった。
それにしてもあの肉おじさん・・・。
足下に何かが当たった。
背の高い草を足でかき分けると『石敢当』と字が彫られた石が立っていた。
ああ、魔除けとしてあちこちにあるものね。沖縄ではたまに見かける。
しかし、それは一つではなかった。
長い草に隠れていてよくわからなかったが、気が付けば私のまわりは石敢当だらけだった。
何これ・・・まるで・・・お墓みたい・・・。
・・・・ぐぅ・・・・
え?
ぐぅ・・・・・ぐぅ・・・・・・
まさか、ついてきたの、あのおじさん。
ぐぅ・・ぐぅ・・ぐぅ・・・
違う・・。幾つもの声が重なって聞こえる。
ぐぅぐぅぐぅ・・・ぐぅぐぅぐぅ・・・
石敢当と草の間に、何か丸い物が転がった。
それは一つ見えて、また別の場所で一つ見えた。
何?もしかすると・・・これが・・・。
ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!ぐう!!
私を囲むようにその丸い物が姿を現した。
霧がかったようにぼやけてはいるが、その声から考えるとこれは豚・・。豚のお化け?
少し、かわいらしいものを想像していたが、ここまで数がいると逆に、主人の言っていた事が恐ろしくなってきた。
股を潜られるとマヴイを取られる・・。
私はまた走った。
どこに向かってかはわからない。どこにいるかもわからないんだから。
とにかく走った。
なんて走りづらい道。
辺りは突然夕暮れとなった。
どうして?
まだお昼過ぎぐらいだったはずなのに!
そうして走っていたら、座っているお爺さんを通り過ぎた。
私は慌てて引き返した。
「よかった!人・・・よかった・・・」
お爺さんの前に座り込む。
「ムスメッさん、ムスメッさんのユマグレ歩きはよくないサ」
お爺さんは両手に包んだ何かを私に見せた。
4本の豚の足。
だけど、それは見る見る人の、しかも小さな赤ん坊ぐらいの子供の手足になった。
「いやああああああっ!!!!!!」
抜けそうになった腰を引きずりながら私は狂ったように絶叫して走った。
いつの間にかあの三本のガジュマルの木の下に立っていた。
夢だったのか。それとも走ってここまで辿り着いたのか。
空を見ると、昼間の青い空が見えた。
夢か。
しかし、この後私はすぐに恐ろしい事が起こって気を失ったのだ。
カジュマルの木から、降りてきました。
豚のお化けが。
手足のない豚が、木から転げ落ちてきたのです。
股を潜られてはいけない。
意味がわかりました。
マヴイを奪われる・・・違います。
あの子たちはマヴイをまた欲しがっているのです。
魂が欲しいのです。
豚じゃ無いんです。
丸い肉の塊・・人として認められなかった悲しみの存在。
だから、また母親の中に入ろうとするだけなのです。
名も無い私のアナタ。
一人でアナタを生み、絶望した事を謝ります。
両手両足が無かったあなたを、私は人では無い、と自分に言い聞かせて・・・あのガジュマルと呼ばれる木の下に埋めた事・・・謝ります。
そして、ここで行われる行事・・・。あれは形が完全で無かったばかりに埋められた、アナタと同じ子供達の供養だったのですね。
アナタを出した時の苦しみよりも、アナタが入って来る苦しみの方が絶えられそう。
また・・・・産み直します。
「お客さん、予約していただいた方ですよね」
「もうしわけありませんが、お部屋の掃除がまだでして・・・・そうだ、少し時間まで外でも散歩なさってはいかがでしょうか」
「そうそう、実はこの辺りでは恐いマジムンが出るんですよ」
「なんでもね、女の人なんですけど・・・胸に子供を抱きかかえてあらわれるんですよ」
「だけど、子供といってもね・・・」
「ええ・・・彼女は子供を産む事ができなかったのです・・・」
「だから、彼女が胸に抱きかかえているのは・・・子供の手足だけなんですって」
続