拾=【拾う神】
その建物には「紫屋」と書かれた看板が架けられていた。
何故俺はこんなとこにいるのだ?思い出せない。
思い出せないが――兎に角中へ入ってみるか。
「いらっしゃいね。」
中には、なんだか四角い男が居た。男は笑っている。
顔の輪郭が四角く、肩幅がガッチリしている。歳はわからない。金髪の為なのか老けても見えるし若くも見える。額には「肉」と書かれている。何なのだこの男は。
「ここは何処だ?俺は何でこんなとこにいるんだ?」
男は答えない。答えずに、不意に無表情になったかと思うと、じ…っと俺の背後を険しい顔つきで凝視している。そして急に笑顔になり、
「よかっぺよかっぺ。」
とだけ喋った。
「だから此所はなんなんだ!?」
「いらっしゃいね。」
埒があかない。俺は無視して奥に進むことにした。
建物の中は薄暗く、そして、片方だけの軍手だの折れたアイスの当り棒だのアーケードゲーム機のスティックだのと、なんだかよくわからない我楽多が所狭しと陳列されていた。
「なんなんだここは?」
俺が途方に暮れていると、バタン、と音がした。音の方を見ると、メガネを掛けた背広姿の中年男が立っていた。男はキョロキョロしている。が、そんなことよりも、あんなところに扉なんてあったか?
「あ…あの…。」
その男は俺に気付くと、声を掛けて来た。
「あなたが『拾う神』ですか?」
はぁ?なんだそりゃ?
「お願いです…僕の捨てた…僕の捨てたモノを還して下さい。」
何を言ってるのだこの男は。
「何を捨てたんだ?」
「僕は子供の頃から友達も作らず、彼女も作らず、ただひたすらに勉強をしていい学校に入って一流企業に入って、この歳で部長クラスまで登り詰めました。でも、でも、僕には思い出が…『青春時代の思い出』が一つも無いんです。」
「ふん、『青春』を捨てて、その代償で今の地位を築いたってか。目出度い野郎だ。そりゃそれでいいじゃねぇか。」
「でも…今になって捨てたモノの大切さに気付いたんです。僕には、周りの人達のように「懐かしい」と感じる歌も無いんです。」
「うるせぇな。言っとくが俺は『拾う神』なんかじゃあ…」
そう言いかけた時、中年男の背後で何かが光り始めた。
「何だありゃ?」
「何がです?」
「何が…って、お前、あの光ってる箱が見えないのか?」
中年男は俺が指差した方向を見た。暫く見つめていたが
「…どの箱が光ってるんです?」
何だって?俺だけに光って見えるのか?それともこの野郎の目が悪いのか?
「こんなに光ってるのにわからねぇのかよ!」
俺はその箱を中年男の前に突き出した。箱には『御手洗享の青春』と書かれていた。
「あっ!これです!僕が探してたのは…」
何だそりゃ?この野郎の名前が御手洗享で、この光る箱にこいつの『青春』が入っているのか?でも『青春』ってどんな形してんだ?いや、その前に何で俺にだけ光って見えたんだ?
「この中に僕の『青春』が…」
御手洗は箱を開けた。俺も中身が気になって覗いてみた。が――中からは一筋の煙りが立ち上っただけで、それ以上は何の変化も無い。浦島太郎のように御手洗の躯が変化することも無かった。御手洗は呆然と天井を見上げている。
何なんだ此所は?
バタン、と、また音がした。
今度は初老の女性が居た。それにしても、この建物には幾つ扉があるのだ?
「あなたが『拾う神』?」
だから――
「だから何なんだ、その『拾う神』ってのは?」
「あなたは何も知らずに此所へ来たの?」
そう言えば、俺は何でこんなとこに居るんだ?
「ここは人間が捨てたあらゆるモノが集う場所。そして、人が捨てたモノの大切さに気付いた時に迷い込む場所よ。」
それじゃあ何か?俺も捨てた何かの大切さに気付いたとでも言うのか?この俺が。
「で、婆さん、アンタは何を捨てたってんだ?」
「私は随分若い頃に人も羨むような大恋愛をしてね。だけど、相手の男に酷い仕打ちを受けちまってさ。それから『女』を捨てたのさ。それからは吹っ切ったように仕事だの女性開放運動だのそんなのに打ち込んで来て――周りの連中から旦那の悪口だの姑の悪口だのを聞かされちゃあ心の奥底で様ぁ見ろって優越感に浸っていたさ。だけど、この歳になって急に寂しくなっちまってねぇ――」
善く喋る婆だ。その歳で『女』を取り戻してどうするというんだ。それとも若返るとでも言うのか?しかし若返ったとこで同じことを繰返すだけじゃねぇのか。
まぁ、俺には関係ないことだからどうでもいい。どうでもいいが――。
「まただ。」
「何がだい?」
「婆さん、向うで光ってるのが見えるか?」
婆さんは振り向いたが、何処だい?何処が光っているんだい?と、キョロキョロしている。この婆さんも目が悪いのか?それとも矢張り俺にだけ光って見えるのか。
でも何でだ?兎に角俺は、その光るモノを取り上げた。
今度は円筒形のガラス瓶だった。
中には桃色の粉末が入っている。そして蓋には『秋山絹代の性』と書かれていた。それが婆さんの本名か。
「ほらよ婆さん。」
「ああ…これが…これがあたしの捨てた…」
婆さんが蓋を開けようとした瞬間、瓶はつるりと手から抜け落ちた。そして、粉々に砕け散り、同時に桃色の粉末は四方八方に飛び散り、後には瓶の破片だけが残った。
「あたしの…」
婆さんはそれだけ言うと、その場にへたりこんだ。さっきまでの威勢はどうしたものか、それっきり、動かなくなった。ま――俺には関係ないけどな。
「さっきから見てたけど、随分冷たいわね、あなた。」
不意に後から声をかけられた。振り向くと、無表情な若い女性が立っていた。
「おまえが『拾う神』か?」
「違うわ。あたしもあなたと同じ来館者よ。」
「…そうか。あんたは何を捨てたんだ?」
「待って。今度はそっちの番よ。」
俺の番?俺は…俺が捨てたモノは…
「俺が捨てたのは『人を思い遣る気持ち』だな。」
何故か、そんな台詞が口を突いて出た。
「そう――『思い遣り』ね。」
女はそう呟くと、つかつかと棚に近付き、一枚の写真を取り出した。
「はい、これがあなたの『思い遣り』よ。」
女は無下に言い放った。だが、その写真には何もプリントされていない。真っ白だ。
只の白い印画紙じゃないか。
「これが俺の『思い遣り』だとでもいうのか?」
「そうよ。あなたには見えないでしょうけど、私にはそれが光って見えるのよ。」
「なんだって?どういうことだ?」
「だから――そういうシステムなのよ此所は。自分の捨てたモノは、決して自分には拾えないのよ。見つけられるのは他の誰かなの。」
そういうことか。あの野郎や婆さんの目が悪い訳じゃないのか。
俺は印画紙を見つめた。そこには――
「これが…これが俺の『思い遣り』…」
何故だ。何故俺はこんな大切な気持ちを捨ててしまったんだ?思い出せない。
捨てた理由は思い出せないが――そんなことより、何故俺はさっきの二人に慰めの言葉一つ架けられなかったんだ――。後悔の余り胸が痛む。涙が溢れて来た。
「俺は、なんということをしてしまったんだ…。」
「メソメソしないで、今度は私の番よ。」
「君は、君は何を捨てたんだい?」
「モノゴトを『愉しむ』気持ちよ。」
「『愉しみ』…」
「そうよ。私は『愉しむ』気持ちを捨てて生きて来たわ。きっかけなんて覚えちゃいないけど、『愉しむ』なんて人生に不要だと思ったのね。」
「どうして…」
「だから覚えちゃいないって言ってるでしょ。ちょっと、汚いわね、鼻水付けないでよ。」
「ああ、申し訳ない。悪かった…人に対して謝るなんて何年ぶりだろう…わかった、
君の『愉しみ』を探すよ。」
僕は涙を拭い、辺りを見回した。あった。彼女の『愉しみ』だ。
それは、本の形をしていた。表紙には『白石美穂の愉しみ』と書かれている。
「この本がそうなのね」
彼女は本をぱらぱらとめくった。
「ふ…ふふっ…。」
ページをめくる毎に、彼女の、白石美穂の表情が緩みはじめる。
「うふふっ、ふふっ、これが…これが『愉しむ』という気持ちなのね。」
彼女を見ているうちに、僕はまた悲しくなって来た。心が痛む。
さっきの二人は、御手洗淳と秋山絹代はどうしているだろう。まだその場で呆然としているのだろうか…。
「何を泣いてるのよ。ふふっ、変な顔。」
「僕は、僕はどうしたらいいんだ…。あの二人に対して僕は…。」
いや、二人だけじゃ無い。僕はきっと、大勢の人間を傷つけて来たに違い無い。傷つけなくとも、救えた筈の人間を数多く見捨てて来たに違い無い。どうしよう…どうすればいいんだ俺は…。
「大丈夫よ。あなたが捨ててしまった『チャンス』だって、どこかにある筈よ。私が探してあげる。」
そうか、ここには捨ててしまったモノがあるんだった。
そうだ!――
「僕はその『チャンス』を取り戻したら、此所に留まるよ。そして――」
「そして?」
「ここを訪れる人の捨てたモノを見つけてやるんだ。」
「うふふ、それは面白いわね。いいわ、私も残って手伝うことにする。」
気がつくと、目の前にあの男が立っていた。額に肉と書かれた、あの四角い男だ。
もしかして、この男が『拾う神』なのか?
「あなたが『拾う神』ですか?」
「いらっしゃいね。」
男は僕の質問には答えず、笑っている。そして、不意に無表情になって遠くを凝視し始めた。
「あの――、僕ら、ここに残ることにしました。そして、ここに訪れた人の手伝いをすることにします。」
すると男は笑顔になり
「よかっぺよかっぺ。」
とだけ喋った。