拾……君ヲ想フ

 

 

1941年にそれは火蓋を切った。

大東亜戦争。

 

私は日本海軍航空隊としてこのラバウルの地に骨を埋める覚悟だった。

今思えば、死にひた走る飢え弱った犬のようだ。

 

御国の為、我は死ぬといふ。

名誉の死は、永遠の勲章であるといふ。

 

異国の地で一番多く嗅いだ匂いはなんだ。

血か。いや、意外にそうでもない。

なんだなんだと無駄な思考を続けるが、私の鼻は異国の大地に咲く植物の影響なのか常に詰まっていた。

結局は自分の鼻汁の臭いを嗅ぎ続けて死ぬわけだなあ。

眼鏡もいつのまにこんなヒビだらけになっていたやら。

役目を果たしていないよなあ。

私もそうだよ。役目を果たしていない。

それなのに体中ヒビだらけであります。

弾の入ってない銃を脇に抱え、魔物のように眼前を覆ってくる植物をかき分けて歩いている。

戦友たちはまもなく夜空の星とやらになるんだろうなあ。

今は隊の生存者は私一人なのだろうか。

無気味なほど静かだ。

戦地で銃声も怒号も聞こえない夜を迎えるとは。

黄泉の世界を歩いているのかもしれぬな。

いや、しかし、地の底深くにある黄泉の国に、あれほどのまんまるな月があるだろうか。

ないよなあ。

なんの為に歩く。

決まっている、死に場所を探している。

食糧も水も底をつきた。

昨日、ここに生える植物で、なるべく葉色のいいものを口に含んだが、まったくひどい。

下痢が止まらぬ。

しかしもう出るものもないだろう。

しぶしぶと腹が痛いが気にはしまい。

それにしても空腹である。

ああ、百合の作った粥が恋しい。

眼鏡が曇るほどの湯気がたつ熱い熱い・・・

・・・嗚呼・・・・・・・・阿呆め。

妻よりも、粥が恋しか、鉈切五郎。

一句できてしまった、この阿呆め。

おや、何かを踏んだと思えば、上官殿、こんな所で寝ては風邪をひかれますぞ。

失礼します。

目玉を鳥に突かれ、深淵じみた眼孔をした上官の身体を転がしてはまさぐっている私だ。餓鬼であるな。

なるほど食糧どころか、死体にキノコも生えてはいない。

ではでは、南無。

さてさて、私はこの地で死ぬ覚悟を決めたはず。

なのに、なぜ求める。

腹が空くという事は身体が生きようとしている証拠だ。私の意志とは別に。

・・・・別ではないな。無意識のうちに歩いているという事は、頭とは別に身体が生きる糧を意識的に探しているという事になるだろう。死に場所の事は本当に頭をかすめもしない。

ただ、腹が減った。

喉が乾いた。

百合・・・・お前はどうしている。

こんなまんまるのお月さんの光の下で、お前はよく眠れているか?

それともまだ泣き続けているか?

私を忘れ、新しい幸せを探しているか?

腹が空いた。それと同時に心が空いた。

ああ、百合・・・せめて死ぬ前にお前の口元のほくろを眺めながら、あの塩粥をすすりたい。

 

おや・・・。

笑うがいい、百合。

どうやら私は生きながらにしてあの世とやらに来てしまったようだ。

それとも、もう魂が抜け出たか。

あるいは、眼鏡のヒビがそう見せているのか。

こんな密林の中に家があるよ。

家、いや、商売屋か。いろいろ置かれているものだな。

しかし、私に「奪う」という力は残されていない。

このままここにいては異国の者に八つ裂きにされるだろう。それもよしかな。

 

なんと。

どういう事だろうか。

私はずっと出す事がなかった声を出しそうになったよ。

だって、百合、お前・・。

この店に並んでいるものの中に、お前に私がやった櫛があるじゃあないか。

薄紅色の櫛の横にあるものは・・・髪の毛か。

誰もいない今ならいいでせう。

近付けば私の考えている事はさらに信じられない事へと向かっていくものです。

お前の匂いがするのだよ。

さきほどまで己の鼻汁だけ嗅いでいた鼻が、百合、お前の匂いだと言っているではないか。

ああ、私はお前を想うあまり、幻の匂いを嗅いでいるのか。

いや、違う、櫛の横にある髪の毛の束・・・これは百合、お前の髪の毛の匂いと同じではないか。

「いらっしゃいね」

おやおや、見つかってしまった。これで終わりか。

「いらっしゃいね」

・・・・・・同国の者か。

「・・・・・ここは地獄か・・・それとも私の夢か?」

額に肉という字の書かれたこの男は、なぜ頭を左右に振っているのだ。

なぜ、定期的に唾を垂らすのだ。

どうして肩にカマキリの親子を乗せているのだ。

やはり幻か・・。

幻でもいいか。

「すまない、私にこれを譲ってくれないか」

薄紅色の櫛と髪の毛。

肉の男は悩んでいるな。

どうれ、彼を肉と呼ぶ事にしよう。

あ、肉が手を叩き始めたぞ。何かを呼んでいるのか。

あ・・・また悩み始めた。

また手を叩いて・・・そうか・・・意味はないのだな。

「拾い物だからよかっぺ」

「そ・・そおか、ありがとう」

「よかっぺよ」

「ああ、ありがとう」

「よかっぺよ」

「・・・わ・・わかった・・・・ありがとう」

「よかっぺよ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 

あの肉は不思議だよ、百合。

「よかっぺよ」しか言わないが、不思議と今思えばいろいろな意味を含めて突き刺さる言葉だった。

肉はこう言いたかったんだなあ。

 

それを持っていくなら、元の持ち主には渡すな。

捨てたものなのだから。

お前も生きたいのなら捨てろ。

そんな生きる希望の欠片は捨てるべきだ。

それはお前を呼んでいた。

それはお前を探していた。

落とした者に会っても渡すな。

捨てろ。

捨てたらまた俺が拾うから。

 

そう言っていたんだなあ。

百合、お前の匂いだよ。

お前はどうしてここに髪の毛と櫛だけでやってきたんだい?

ああ、なんて懐かしくて・・・・優しい匂いなんだ。

一人で死ぬのは嫌だ。

生きたい。

生きて、百合・・・・お前の口元のほくろを見ながら塩粥をすするんだ。

生きるんだ。

 

 

百合・・・・・・

百合なのか?

どうしてここに?

お前・・・その髪・・・そうか、やはりこれは百合の髪の毛か。

ほおれ、百合、櫛と髪の毛だ。大事なものだ、なくさないでおくれ。

どうした、なぜ首を横に振る。

なぜ、そんなに哀しそうな目をする?

これは受け取れないのか?

ならば・・・せめて私の手を握っておくれ。

暇さえあれば槊杖と鉄砲を握っていた手だ。ごわごわとしているんだ。すまないものだなぁ、百合。

ほお、白い着物が似合うではないか。百合。

やはり、この櫛はお前の物だよ。

 

 

どれくらい年月が経ったのでしょうか。

レンズの部分が砕けた黒ぶちの眼鏡がその戦地であった場所に落ちていました。

こんな場所でも咲くものなのでしょうかねえ。

壊れた眼鏡によりそうように白い百合が咲いていますよ。

白百合の花びらに、ほんの少し薄紅色の模様が見えますか。

きれいですね。

 

 

 

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