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 徳島県のある山村を取材の為に訪れたのは、私の住む小樽でユキムシが舞いはじめ、雪の知らせを告げる時期であった。

 

 

ゴンギャナキ

 

 

北海道、内浦湾の八雲ではユキムシは豊漁の知らせである。

海が荒れ、柳葉魚がよく捕れる。

北見美幌ではこの虫は「シベキ」と呼ばれ、鮭の捕れる兆しであった。

綿、あるいは焚き火の灰のように風に舞う、そんなこの虫の飛ぶ姿がとても幻想的に感じたものだ。

私はそんなユキムシをまだ見てないまま、徳島の古びた、薄暗い村の山道を車で走っていた。

連なる低い山。その山の向こうは何か、こことは違う世界が広がっているような空の色がある。 さらに薄暗く、あの空がここまで侵食してきたら一変して幽界に入り込んでしまうのではないかと思える程、いやな空の色だ。だが、山の向こうに私は用事がある。

この峠道をぐるりと回り、私が忌み嫌っている空の色の真下にあるはずであろう、ある村がある。とても小さな村だが、地図では簡単に見つける事ができた。それはこの村の周りに、ろくに人が住めるような環境がなく、名前のある土地などなかったからである。その中にこの名前がぽつんとあったのだ。長寿の村として最近囁かれはじめた、男鹿瀧田(おがたきた)村という名前で、どこの徳島観光センターにも、問い合わせたところで「そんな村など知りません」、に近い反応が返ってきた。

「知りません」と地元の観光センターに言わせるその村にとても興味がある。

実際こうして地図に載っているじゃないか、と大声をたてる事もなく、私は新聞記者としての血が疼くのを感じて受話器の向こうでほくそ笑んでいたものだ。

 

そこへ行く理由は、長寿の秘密の調査などではない。

ある日、私がたまに覗くサイトの掲示板で、とても気になる報告を見つけた。

 

『徳島県H市のオガタキタに、11月18日、医療センターのヘリが数台降りた。』

 

都市伝説系統の情報を集めていたサイトだったので疑わしいものではあったが、たまたま今、ネット間で広がる現代都市伝説を追求していくコーナーの記事を任されていた。

小さな記事だったが、思ったよりも反響があり、今回は特別企画として大きな仕事にする事ができたのだ。

そして、私の目はこの記事でとまった。

私は川上という在り来たりの名前だが、もう在り来たりの記事は書きたくなかった。

在り来たりの記事。つまり言ってみれば、本当にただの根も葉もない噂だった、という結果の記事だ。

だが、今回は違う。そういう予感があった。

地図で、周りの世界と隔絶されたようなこの村の名前を発見したからだ。

まるで、その村に呼ばれていたように、私は今こうして向かっていた。

携帯電話が聞き飽きた曲を流した。

「もしもし、ん?どうした・・・ははっ、おい、俺は運転中だぞ」

妊娠中の妻からだ。なんたら呼吸とかいう「ふっふっはっ」という息遣いだけさせて、私の声に応答しない。

やがて、「ごめん、なんだか心細くて。・・・なんだかそんな予感がするの」

女のこういう時の感は、ひどく当たると聞く。

「そんな予感・・・するかっ!?」

「うーん、今晩すぐにってわけじゃないけど、でも近い日に・・・そんな感じ」

「すぐに戻るよ」

切った電話を後部座席に放り投げ、次に電話が鳴っても出ない、そう小声で独り言をいった。

峠の明るさに微妙だがばらつきが出てきた。

どうやら、ばらつきの理由は、街灯と出逢う間隔。

街灯が並んでいる間隔は30メートルおきぐらい。

その間隔の長さがだんだんと長くなる。

いつか、ずっと明かり一つない道をこのまま走り、峠から落ちるのではないかと恐れたからだ。

はじめは長期滞在して色々と調べてみたいという気持ちがあったが、今の電話で吹き飛んだのもあったし、この薄暗さ。

明日の午後にはここを出ようと決めた。

もう薄暗いで済まされる明るさでなくなってきた。

街灯もまばらにしかないこんな峠で夜を迎えるわけにはいかない。

車の速度を上げた。

 

 

 

男鹿瀧田村は思っていたよりも薄気味の悪い村だった。

古い家屋の間には、いつ立てられたものかわからない電信柱や、昭和半ばぐらいに見られた琺瑯(ほうろう)の看板、取り壊されて移動された水車の部品らしきものなどが見られた。

道には烏か蝙蝠の糞だろうか、小さい粒のようなものがたくさん散らばっている。

思ったよりも早く到着できたので、民宿を探す前にどこかコンビニエンスストアでも探そうかと思ったが、村の奥まで見渡せそうなその視界に、そんな派手な電光掲示板は見当たらなかった。

 

しかし、なんだろう。

 

この村に、何かの違和感を感じる。

 

その違和感の正体を突き止めようとした時に、私はある事に気が付いた。

影が動いている。

村の中の、あまり気にもとめていなかったが、よく見ればおかしな場所にある「影」。

それらが非常にゆっくりだがゆらゆらと動いて、少しづつ前進、あるいは後退していた。

目を凝らせばそれらが人である事、そして、すべてが80代程の老人である事がわかった。

老人達が、まるで何の目的もないようにただ一点を見つめ、ゆっくりと歩いているのだ。

ふと、映画の『ゾンビ』を思い浮かべてしまう。

こんな暗い時間に、彼等、彼女らは何処に向かって歩いているのか。

一人一人向かっている方向は違い、中にはただ足踏みだけをしているのではないかと思わせる老人もいた。数ミリ単位で移動しているのだろうが。

 

その異様な光景に何か、先程考えた幽界のイメージが起き上がってきた。

そのイメージを吹き飛ばそうと私は、バッグを肩に背負い直すと一人の老人に話し掛ける。

「もしもし、すいません、」

「・・・・・」

「もしもーし、すいませーん」

やや、声のトーンを上げてみる。

「・・・・・」

「すいませーん、おじーさーーん」

「・・・・・・だんだぁ・・・・」

「え?・・は・・・あの、この辺りで寝泊まりできるところを・・」

そこまで言いかけて私は口を開いたまま言葉を止めた。

老人は口から涎をシタシタと地面に止めどなく流し、目は開いているのかどうかはわからなかったが、開いていても私が映っていない事は確実に思えた。

 

そうなのだ、ここに揺らめいている老人の影の本体、すべてが涎を垂らし、目的もなく、たまに「だんだぁ」「あば」「ぷす」などという意味不明の言葉を呟いているのだ。

長寿の村だと、痴呆症老人の村じゃないか。

 

私は自分の足で探す事にした。

「お若ぇ方、なんぞお困りですかぃな」

一人の老婆がすぐ私の背後から声を掛けた。

突然なので驚きつつも、話ができる者に出会えた、という安堵感の方が大きかった。

事情を話し、老婆の世話になる事にした。

老婆は紺屋コイケという名前で、彼女の話によれば、ここに民宿などないという。

ここに来る観光客もいなければ、外から入ってくる者もいない。

また、この村には若い人間がほとんど残っていないのだと言う。

棄てられた村。

言葉にはもちろんしないが、そんな言葉が浮かんで、なんだか哀しくなる。

 

 

コイケの家は薄暗くてその全貌は見えなかったが、その辺りの建物の中では一番立派に見えた。

コイケはこの村のトリアゲバアサンなのだという。

産婆の事である。広い地域で言う方言だが、なんだか妖怪じみた名前で少しおかしかった。

 

ごんぎゃあ、、、、、ごんぎゃあ、、、、

 

「おや、コイケさん。赤ん坊の声が聞こえますが・・・」

「・・はい、仕事ですから」

それだけ言うと、コイケは私を家の中に招き入れた。

 

この産婦人科は老夫妻で営んでいるようだ。

産場と家が一緒というのは、昔の名残りであるという。

炬燵に入り、コクリコクリと眠っている老人がいる。夫の孫太郎だという。

孫太郎は私が声を出してもまったく起きる様子がなく、口の端から涎を垂らして寝ている。

彼も外を徘徊していたように、痴呆症になってしまっているのかもしれない。

ならば、この産婦人科はコイケ一人で営んでいるのだろうか。

それとも、少ない若い者がここで朝から昼間に掛けて手伝っているのかもしれない。

それにしても、赤ん坊はどこにいるのだろう。

こうして入ってきたが、やはり記者の癖で辺りを探るように見てしまう。

仕事場らしいところは通り過ぎたし、赤ん坊を寝かせる場所らしきところもあった。

しかし、肝心の赤ん坊がどこにもいない。

聞けば、奥にある仕事場が現在の仕事場で、通り過ぎた場所はもう使ってないのだという。

そんなに奥行きがあるとは思っていなかったので、多少驚いた。

 

 

一室を与えられ、焼き魚やきんぴらごぼうなど、なんだか嬉しくなってしまう食事が出た。

こういう旅先で、奇縁でここにいる。そういう所で食べるものは、豪華なものであってはいけない。このような、そこに住む者の生活に馴染んだ食べ物がいい。

 

食事を終え、私は仕事の道具のパソコンをちゃぶ台の上に置き、開いた。

そうだ、医療センターがうんぬんという噂を調べる為にここまで来たんじゃないか。

しかし、こうゆっくりしてしまうと、なかなかキーボードを叩く指が動いてくれない。

それに今日は来たばかりでまだ何も調べていないし、これから風呂でも入ってゆっくり眠りたい気持ちであった。

 

私は風呂でも頂戴したいと思って、老夫妻のいる部屋へ続く廊下を歩いていた。

月の明かりが障子越しに射し、そこに背の高い人物の影をくっきりと浮き出した。

髪の長い、目蓋の腫れ上がった色白の女性だった。

私が驚いた時にほんのわずかに出た声に、彼女が抱いているものが反応した。

ごんぎゃぁ、ごんぎゃぁ

赤ん坊だ。泣いた瞬間に口から落ちたのだろう。生木を剥いだような臭いのする廊下に、おしゃぶりが転がった。

女性は赤ん坊を隠すように廊下を小走りで去っていった。

「あ、ちょっと・・・・これ・・・おちましたよ!」

私がまごまごしている間に、廊下の闇の先に彼女は消えて、見えなくなった。

「そんなに驚かなくても・・・」

ツンとするその臭いに私は眉をしかめた。

拾ったおしゃぶりから発する臭いにだ。寒さの所為で湯気立って見える。

唾でネト付き、障子越しの月明かりで照り輝くおしゃぶりからの臭い。

悪臭という程でもなかったが、臭いの正体がつかめないから「いい臭いではない」部類に入る。

 

ふと、気になる扉がある。

なぜ気になるかというと、一人でこの家を歩き回っていて、新しい仕事場に繋がる扉がここでしかあり得ないとしったからだ。

この両開きの扉以外は、干物を干す場所や、汲み取り式の便所、壊れた水車の部品が置かれた倉庫などであった。

扉の真正面は、障子の通路が途切れてこれもまた両開きの物々しい扉だが、とても「開いて見てください」という雰囲気ではない。

始めてきた客人がそんなにあちこち開いたりはしない、そう思っていた事だろうが、あえて言うなら「申し訳ない。職業上、なんにでも興味があるのです。見てしまいます」だ。

家を囲むようにしてあるこの廊下の、最初に見つけた扉は内側に向かっているのだが、外側に向かっている扉は何処へ繋がっているだろう。

そんなに複雑な造りの家でもあるまい。

まず、内側に向かっている扉に手を掛けた。

 

中は真っ暗で何も見えない。

さっきまで赤ん坊の声が聞こえたのだ。

きっとあの女性がここにいたはずだ。しかし、そのいたという過去が感じられないのは何故だろうか。

彼女は自分で明かりを消し、出ていったのか。

 

ごんぎゃあ、ごんぎゃあ

 

外からだ。

さっきの赤ん坊の声とは違って聞こえる。

ごんぎゃあ、ごんぎゃあ

ごんぎゃあ、ごんぎゃあ

一人ではない。

ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、

二人ではない。

ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ、ごんぎゃあ

突然一斉に何十という赤ん坊の泣き声が外で一斉に起こって、私は何かとても恐ろしく感じこの場から去ろうとした。

振り返った瞬間、目の前にコイケの夫、孫太郎の顔が目の前にあった。

 

ごんぎゃああ

 

孫太郎は真っ暗な目で、真っ暗な口を開いて叫んだ。

この声は、この家に入る前に聞こえてきた赤ん坊の声だった。

私は何がなんだかわからず、冷静さを取り戻す事を忘れ、その場で腰を抜かしてしまった。

そこにコイケが現れた。

「隠しておいたって・・・いずれぇ、わかることやけな」

コイケは手に持った物を私に見せた。

サナギ?

いや、何か粘膜に包まれた・・・何か。

膝を抱えた人間のような、複雑な筋模様を見せる胎児のような形の幼虫のような。

いまの「ような」の例えの中に答えはあった。

人間だ!!

粘膜に包まれて、おそらく生きてはいない赤ん坊をコイケは鞠でも持つかのように・・・。

しかし、それだけならばこんなに震え、言葉を失う事もなかった。

そこに抱かれた赤ん坊の死骸。

赤ん坊ではなかったのだ。

シワクチャに畳まれたような老人だった。

人間、皺だらけになればこんなにコンパクトなサイズになり得るのだろうか。

そして、この明らかに皮膚の一部である膜は一体なんなのだ!

 

「こんアカゴは生まれてすぐに、死んだんですわ」

アカゴ・・・これが・・・これが・・・・!?

 

からからからから

 

古臭いカラクリ人形が動くような音と共に、暗かった扉の内部に蝋燭程度の火が奥に連なって灯った。

扉の中、それは水車のような車で動く、ベルトコンベアの回る部屋だった。

ベルトコンベヤは部屋のずっと奥まで続いている。

コイケは老人のような「アカゴ」の屍体を、そのベルトコンベアに乗せた。

屍体はベルトに乗って部屋の奥に消えていった。

 

「こん村の建物は全部、この先に繋がっとります・・・この機械で」

コイケは言った。

「この先には・・・何があるんです?」

「・・・・そこも私達の仕事場です」

私は記者としての血が突然復活した。

あの都市伝説は・・・・この家と何か関係があるんだ。

迷わず、そのベルトに飛び乗る。

「お待ちなせェ。・・・世の中には、知らなければ良かったナァ、てことがなんぼでもあるとです、お待ちなせぇ」

コイケの声を背に、意外に早い動きのベルトの流れに身を倒さぬよう、しっかりと四つん這いになった。数メートル先に先程乗せられた謎多き屍体が見える。

ベルトの中の機械の凹凸が作る隆起に、時々屍体がバウンドするので本当に鞠のように見える。

突然、視界から屍体が消えた。

落ちたのだ。

先の「出口」に。

そして、間もなく私もそこに到着する。

 

 

異臭。

視覚より先に嗅覚が悲鳴を上げた。

なんとも例えようもない、悪臭と断言できる臭い。

死臭。

そして、それに混じって他の何かの臭いもする。

そこは火葬場だった。

火葬場には、いつからここで転がっていたのかもわからぬ屍体から、昨日、数時間前にここに到着した屍体もあった。

屍体とは、すべて粘膜に包まれた玉のようになっている老人だけではなく、

服を着て生活をしていた跡を見せる老人の屍体も多い。

火葬しきれず溜まった、、、そのように思った。

火葬場の周りには私が出てきたところを含めて8個のベルトコンベアが設置されているようだ。ここから村中に続いているのか。

その中の一つからドサッと音をたてて落ちるものがあった。

「!!・・・・」

この村に来て一番最初に話し掛けた、痴呆症の老人だった。

もちろん、事切れていた。

「なぜ・・・産婦人科と火葬場が繋がっているんだ・・・」

「この村は・・・・祟られておりますじゃ」

コイケがベルトに乗って降りてきた。

孫太郎と共に。

「こん村では・・・生まれるアカゴは・・・すべて年寄りなのです」

「わかりません・・・どういう意味ですか」

「ですからな、生まれるアカゴは・・・・生い先短い年寄りなのだと言っとるんですよ」

「老人が生まれる!?・・・馬鹿な・・・馬鹿な・・・」

さっきの胎児のような老人の屍体を見た。

呼吸が激しくなる。脂汗がこんな寒い時期なのに吹き出して来る。

「こんはのぅ、ゴンギャナキの祟りですわ」

「ゴンギャ・・そ・・それは一体なんなんですか」

「祖谷山に伝わる妖怪です。山の中でゴンギャア、ゴンギャアと泣く・・・・」

「捨て子の化物・・・」

「いんや、口減らしの為に棄てられた年寄りの怨念ですわ。あまりにも哀しく、あまりにもひもじいので、子が乳をせがむように、ひもじい、ひもじぃ、と泣くのです」

「・・・・姥捨て・・・それは妖怪などではなく・・・実際にあった悲劇の話・・それはわかりますが・・・・・どうしてこんな子供がうまれるのです?医療科学ではこんな事・・」

はっ・・・と私は思った。

都市伝説。

この村に、医療センターのヘリが降りた。

特別珍しい事でもないだろうし、十分あり得る事のはずなのだが、その噂に興味が引かれた。

私はとことん運がいい。こんな事を国は隠していたのだ。

こんな事実があるのに、未だ解明できないから医療センターの御偉い方が来訪して調べていったんだ。

しかし、どういう説明ができるんだ。

妊婦から老人が生まれる?

妊婦よりも歳をとった人間が腹の中で育つのだ。

どういう事なのだろうか。

「逆もあるんです。この火葬場から、産場に向かう子供もなあ」

「・・・・・ここから・・・産婦人科に?」

「双児です。腹の中で双児ができ、中で交わってしまうのです。そして・・・・・その片方の子が妊娠し・・・」

「マテ!!まってくれ・・・・・・・すると・・・・そうして死んだ双児の腹の中から、新しい子供がうまれる事もある・・・だから火葬場から産婦人科へ向かうと・・」

ごんぎゃあ、ごんぎゃあ

孫太郎が泣き始めた。

「じゃあ・・・・孫太郎さんは・・・」

「へぇ、トリアゲバアのわたしが、取り上げた子供ですわ」

この老人の姿の赤ん坊は、あの丸い玉の状態で急速に成長するようだ。

生殖活動もできるようだ。

そして若者がここにほとんど見られない理由は、女性がいないからだろう。

胎児状態の老人ならばいいが、成長し過ぎて大きくなった老人は、場合によっては妊婦の体よりも大きくなってしまうはずだ。

ならば、妊婦は生きているはずがない。

いや、先程の女性、あれは確かに若い女性で、あの赤ん坊の親だ。

きっとあの赤ん坊も老人のはず。

「考え事はやめにして、今すぐここから立ち去りなせぇ、ほら、ベルトを逆に回してやるで」

コイケが火葬場のスイッチと思われていたものを押すと、ギィ−、ガタンと水車の車輪が音をたてて横にわずかにスライドし、ベルトの一つが今までと逆に回りはじめた。

私は突然何かに追われるようにしてベルトに乗って、この火葬場から、この家から出た。

 

外には老人・・・いや、赤ん坊達が徘徊している。

ハイカイ・・・いや、彼等、彼女らにとってこれはハイカイではなく、ハイハイなのだ。

コイケの家を見上げると、私は一目散に走った。

老人用オムツの専門店。

老人用おしゃぶりの専門店。

今まで見た事もない店が連なっていた。

老人用おしゃぶりの看板には、「梅」「昆布」「味噌」とある。

味なのだろうか。なるほど。あの赤ん坊が落したおしゃぶりの臭い、あれは昆布の臭いだ。

唾液で湿った昆布の臭いだったのだ。

走り過ぎた建物の一つ、そこはやけに明るい光が窓から漏れていた。

先程までこんな光はあっただろうか。

窓には大勢の人間の笑い声と、影。

声からすると若い女性達だ。

建物の看板には『みかどの間』とある。

しかし、足は止めてみたものの、やはり嫌な予感がする。

勇気以外の何かを振り絞って窓を覗くと、先程、私から逃げるようにして走り去った女がいた。目蓋の腫れ上がった顔で、ゲラゲラと笑って、何人かと談笑している。

その女は胸元の赤ん坊にミルクをほ乳瓶でやっていた。

いや、赤ん坊ではない。老人だ。

そして、ミルクではない。色からすると、おそらく渋い緑茶だ。

そして、その成人した者と同じ大きさのアタマを持つ老人の赤ん坊は、首から下が女性の腹部に埋没していた。

老人の頭は裂けた彼女の腹部から飛び出し、そのままほ乳瓶をくわえていた。

帝王切開・・・・帝王・・・・帝・・・・みかど・・・。

窓の中の女性達の視線が私にすべて集まった時、背後からは無数の「ごんぎゃあ」という声が。

 

誰でもこんな状況・・・・気絶するはずだ。

 

 

 

 

携帯電話の音で目が覚める。

私は自分の車の中にいた。

辺りは見た事もない山中だ。

夢・・・そうだ。よくあったじゃないか。今までこんな夢にうなされる事が。

「もしもし・・・・ああ、大丈夫だ。もう数日会社を休む。・・・ああ、記事は大丈夫だ。いいものが書けそうだ。うん、それじゃ」

電話を切って、後部座席に投げる。

携帯電話は妻の体に当って転げ落ちた。

もう生気を失った妻の目は、私をずっと見つめている。

そして、突き破られた腹からは老人の顔が。

 

 

それから間もなく、国が秘密裏にしていた実験地帯・男鹿瀧田村の事が会見で明らかになった。

人工増加を防ぐ政策。

成長ホルモンを異状活性化させ、体内の子供を急速成長させる。

生まれて間もなく、子供は死ぬ。

あるいは生まれてすぐに。流産でもなく、堕胎でもない。

生まれた子の死因は老衰。

 

子供ができて困った若い女性達に、とても喜ばれているという。

しかし、失敗すれば。

 

私の妻のようになる。

 

ユキムシが舞う。

シシャモやサケの捕れる時期だ。

彼等の卵は・・・・大丈夫だろうか。

 

 

 

 

 

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