乾く星 

 

 

気がつけばカズヤの死体が俺に寄り掛かっていた。

俺は彼の頭に銃で一撃。昔の親友はただの肉人形と化した。いや、干物だ。

悲しみはない。彼はすでに死んでいたのだ。そう、吸血症の人間は「そうなってしまった」時点ですでに死人なのだ。そして、彼等は生者を羨み、生き血をすする事で生命のあった頃を一瞬だけ思い出せるのだ。そうに違いない。

後部座席の老婆は恐れるわけでもなく、カズヤの手から『ダクリュオン』を奪い取り、すぐにボトルに口を押し付けた。

ドアをあけてカズヤの死体を蹴り落す。

エリはどこだろうか。まさか彼女も俺を襲おうとどこかに身を潜めているのか。

その時、俺はエリを撃てるだろうか。

いや、撃つ。エリはもうエリじゃないんだ。

 

 

ふと、人間とは海から派生した生物であるという話を思いだした。

この星に生まれたのは人間だけではない。しかし、人間だけなのだ。乾いてしまう生物は。

この星にとって人間だけをを乾き苦しませる必要があったのか。

細かくいえば植物だって犠牲者だ。魚や水の中に住む生物にだって死に関わる事かもしれない。

しかし、乾いて死ぬのなら仕方がない。何かの酬いだと思うしかないだろう。

だが、この乾きは人間を生かし続ける。

醜い人間の本性をさらさせながら生かし続けるのだ。

おもえば、身体の中の水が全てを支配していたのかもしれない。血液に関わらず、あらゆる水分が身体の機能を正常に働かせるエナジーなのだ。

それを失ってしまった人間達がここにいる。死を受け止められない罪人達だ。

そして、そうなってしまった罪人達は海に帰る事も許されない。

ただ、乾いた荒野で、何もかもをがさつかせた最悪の人生を送るしかないのだ。

そんな事を考えていたら急に彼等が哀れになった。

 

俺はありったけの弾丸で、彼等に永遠と思われる安らぎをプレゼントした。

車に群がっていた吸血鬼たちは地面に横たわって動かなくなった。

彼等はなんの抵抗もできぬまま、水を欲する手を伸ばしながら死んでいった。

これでよかったのか。

俺がこれ以上彼等を見たくないからという理由で殺したのは、明らかに俺のエゴ・・・。

彼等はここでその屍を永遠に乾かせるのだ。嗚呼、せめて魂は。なんて祈ればいいか。

ふと、エリがいない事に気がついた。いや、少し嘘になる。

エリがいないからありったけの弾丸を彼等に放ったと言った方が正しい。

もしエリを目前にしていたら、武器の引き金気引けなかったかもしれない。そして、任務を最後まで果たそうという気持ちになったかもしれない。

だが、俺はエリのいないのを確認するように一人一人確実に殺した。

彼等は撃っても血が出ないので、遠くから見ると弾丸が当ったかどうかもわからない。倒れて初めて命中したのだとわかる。

それにしてもなんて臭いだ。放置されたまま月日が過ぎてミイラ化した動物の死体のような臭いが辺りに充満し始めた。死んだ事により、乾きのスピードがさらに早くなっていくようだ。

彼等は死んでもなお乾き続けようとしている。

車からおりて生き残った吸血鬼たちを捜したが、どうやら全員殺したようだ。

車内の老婆とエリ以外は。

車に戻ってみると、相変わらず老婆は『ダクリュオン』を狂ったように飲んでいる。

俺がみんなを射殺した事など、目にも入ってないようだ。好都合だった。俺はこんな婆さんまで殺すつもりはなかった。

車に乗ろうと運転席のドアを開いた時、背後で気配をを感じた。

エリだ。

俺は後ろを見ないで銃口だけを彼女に向けた。

「夏男・・・どうして?」

声だけが耳に入る。

そのかすれた声はやはりエリのものだった。

「どうして・・・殺すの?」

「悲しいからさ」

数秒たってから、エリのすすり泣く声が聞こえる。

「エリ、悲しいんだ。俺だけじゃない。エリの両親、友達・・・みんながこうなってしまった事を悲しんでいる。だからこそ、俺みたいな仕事ができたんだ」

「水のある場所へ連れていってくれるんじゃなかったの?」

「俺の仕事はお前達をダクリュオンで誘い出して、海に捨てる事なんだよ!!」

「・・・・・・・・てた」

「・・え?」

「知ってた」

俺は振り返ってエリを見た。痩せこけて、髪の毛は乱れ、服も所々破けてはいたけれどまぎれもなくそれはエリだった。

あの時、エリは俺の乾いた心をいつも潤してくれた。

俺はそれで何度救われた事だろう。

だけど、俺はエリを今、殺してしまうかもしれない。

「私・・・乾いてないよ、夏男よりは・・・」

「・・・・エリ」

俺はエリに全てを見すかされているような気がした。

「いって・・・」

「エリ?」

「もう・・・行ってよ」

「・・・・・・・・・」

「ここにいたら、夏男までも乾いちゃう・・・・ね、もう行こう。私、ついていくから」

エリは死ぬのを知っているのに、ついてくると言うのだ。

そんなエリに銃口を向けた俺は馬鹿野郎だ。

 

 

俺はまた走り出した。

たった一人のランナー、俺の元恋人を連れて。

砂煙りと水蒸気が微妙な色合いを見せてバックミラーに映る。

夕暮れの中、すべての物事を浄化するかのように雨が降ってきた。

雨は決して乾きを潤すものではなかった。

灰色の雨。

もうこの星では透き通った水の雫なんて見る事はない。

工場灰を含み泥水のようになって降ってくる雨は、3大公害の一つとなっている。

土砂降りの中、それでもランナーは走らざるをえない。

後部座席の老婆は外の光景に懐かしそうに目を向けている。

違うんだ、婆さん。これはあんたの知っている雨ではないんだ。もうこの世界に、この『ダクリュオン』以外に、透き通った液体なんてないんだよ。

バックミラーは泥の雨で何も映さない。こんな中でも彼女はずっとついてきているのだろうか。

 

 

雨があがった。

エリはしっかりと車についてきていた。だが、表情までは見る事ができない。

ふと見ると、老婆の懐かしそうな表情がまだ続いていた。

やがて老婆は静かに口を開いた。

「この先に・・・私の娘の住んでいる街があるんです」

「・・・・・・・・」

「どうか、どうか・・・幸せでいてくれますように・・」

老婆は手をあわせて祈った。

「婆さん、何に祈ってんだよ。」

「・・・・あれにです」

老司が指を指した先に、海がわずかに見えた。

「・・・・婆さん、これからあそこにいくんだぜ」

「わかっております・・・」

老婆は涙を流した。

「きっとここの海で死ぬのだと思っていました。私も死ぬつもりでしたが・・・この娘の住む街の海で死にたかった」

「死ぬつもりでついてきたのか」

「だから、おいていかれないように必死でした・・・」

喋るたびに乾くのか、老婆は会話の間間で『ダクリュオン』を飲んだ。

老婆の娘が住む街が見え始めると、視界が広がり、海が見えた。

泥の雨で海はすっかり汚れてしまったが、夕日の光を受けた海はお世辞ではなく美しかった。

ウインドウを開くとひどく生臭い臭いが車中に入ってきたのでたまらずしめた。

海で死んだ魚がすべて浜に打ち上げられているのだ。

その腐敗臭がこの辺りには充満している。

老婆の娘の街・・・残念な事だが、ここももう乾き始めていた。

植物がすべて黄色く変色して、車が走ると枯れた草々が風に舞い上がる。

あと数日でここも乾いた土地になってしまうのだろう。

乾きを感じ始めた住人達は家から出なくなり、日に当たらないようになる。

商店街らしい場所もあったが、ここまで完全に無人だと気味が悪い。

こうなってしまってはもう手後れだ。

街の住人はすでに乾きの呪縛に捕われ、吸血症になるのを待つだけだ。

それでも老婆は懐かしさのあまりに涙を流した。

彼女はこの街が乾き始めている事を知らないのだ。

娘にたいしてだろう。別れの言葉や、感謝の言葉、祈る言葉がブツブツと後ろから聞こえる。

俺は車をこの街の中心部で停めた。

「婆さん、降りていいぜ」

「・・・え・・」

「降りて娘さんに会いにいきな」

老婆は俺の言葉を理解しようとしているが、よく受け止められないようだ。

「婆さん、海に入りたければ・・・娘に会ってから自分で入ってくれ」

ここもすぐに乾くから・・・とはさすがに言えなかったが。

「俺はこうしてアクセルを踏み続けていなくちゃならない。勝手に何本か『ダクリュオン』を持っていって・・・・娘さんの所まで走って行ってきな」

老婆は声を出して泣き始めた。

「いいんですか?・・・・いいんですか?」

俺は後部座席のドアを開いてやった。

「婆さん、気を付けてな」

老婆は何度も頭を下げると、『ダクリュオン』を5本持って車を降り、どこかへと消えた。

汚れたバックミラーを手で擦ると、水蒸気の中でエリらしいシルエットが見える。

さあ、こっからは二人のデートだ。

車は走り出す。

 

 

海岸線をずっと走り続ける。

俺はずっと考えていた。

さっきの街で降ろした婆さんは、娘を恋しがる一人の親だった。

人間としての心は乾きに殺されてはいなかったんだ。

つまり、人間なんだ。

俺はそれを虫を殺すように・・・。

今度はもと恋人までも殺そうとしているんだ。

なんてこった。このお話は昔の恋人と再開したって、なんのラヴストーリーも生まれないじゃないか。二人でのドライヴなのに、車に乗っているのは俺だけ。エリもただ乾きの本能に抗えず、車を追ってくる事しかできないのだ。

彼女もあの婆さんと同じで、昔の事を思い出して泣きながら走っているのだろうか。

自分がどうして走っているのかという理由さえも、必要以上に考えず。ただ、結果的に安息があると信じて。

スポーツの後の冷たい水は最高だ。早くそれを味あわせてやりたい。

エリは俺を誰よりも愛し、俺も誰よりもエリを愛していた。

借金で首が回らなくなって、俺は同棲していたアパートを出てこの仕事をした。

いつも貧しい生活をさせていたから、たくさん稼いであいつに海のきれいな南の島への旅行をプレゼントしようとおもっていた。それが結果的にこんな泥水の海に招待する事になってしまった。

そろそろ海岸につく頃だ。

 

 

この辺りには地下から水を汲み上げる為の巨大なパイプとポンプがたくさんある。

これもこの星を乾かせる事になった原因の一つかもしれない。

水の浄化の為に作られた機械がむなしく埃をかぶっているのも見られた。

この海の泥水はもう、ろ過できる水準にも達しない汚水なのだ。

 

 

海岸に出て、車のウィンドウをひらくと気持ちのいい潮風が吹いてきた。

この辺りは魚の死体が打ち上げられていない。

俺はエンジンを停めた。

車から発されていた『ダクリュオン』の蒸気は止まり、エリが苦しみの声をあげた。

乾いた人間は水分を求め、自ら海の中に入っていくのだ。

こうして俺は何百という人間を海に落していった。

エリは喉をおさえ、ヨタヨタとあらぬ方向へ走りはじめる。

声は泣いているのに、涙はこぼれていない。

俺はつらくなった。

どうして俺は彼女を生かしておいてやらなかったのだろう。

いくら乾いた土地でも、生きている事はできたのだ。

しかし、今からあの街に戻って自分も帰るほどの燃料はない。そして戻る気はなかった。

夕日の中で、エリの影が映える。水を求めて両手をあげて震えるその影は、何かを乞う哀れな姿に見える。

声にならない声をあげて、エリは涙のない号泣を続けた。

俺は走ってエリを後ろから抱き締めた。

エリの乾いた髪の毛は、昔に嗅いだシャンプーの臭匂いがかすかに残っていた。

シャンプー、変わってなかったんだな。

「夏男が帰ってくるまで、部屋はなーんにも変わらないよ」

そう電話で聞いて、何度もホームシックにかかったのを思い出す。

抱き締める俺の腕をエリの手が包む。

剥がれかけたマニキュアは彼女のお気に入りの色だ。

夕日を受けて、俺の目に眩しい光のまたたきを送る物があった。

エリのアクアマリンのピアス。

もうこの星にはない、海の色の石のピアス。

俺はもっと強く抱き締めた。

エリはそのままゆっくりと顔だけを振り返らせる。

一瞬、あの日のように・・・微笑んだ。

その次の瞬間にはするどい牙を剥き出して吼えた。

エリを突き飛ばし、その場で二人とも倒れる。

エリはふらふらしながらすぐに立ち上がり、ひどく悲しい表情を俺に見せて・・・海へと歩いていった。

 

 

エリは海に完全に没するまで、一度も俺に振り向かなかった。

 

 

車の中で俺は『ダクリュオン』のペットボトルを見ていた。

ダクリュオン δακρυον

ギリシャ語で涙。

体や心の乾きは涙でしか潤す事ができないのか・・。

遠くの日没が光の反射ですぐ間近で起こっているように見える。

もしかすると、俺達はずっと遠くのモノを求めている間に、近くにある大事な物を全て乾かしてしまったのかもしれない。

ずっと空を見ていた。やがて空に星が幾つか光りはじめる。

この星はまだ生き続けている。

戻らなくてはいけない。まだ生かされている以上、俺は生きなくてはならない。

生かされている事に、意味がある。

結局そういう答えに行き着いたら、なんだかすっきりしてしまった。すべてをひっくるめてすっきりした。

もしかすると、俺自身も心が乾ききってしまったのかもしれない。

車のエンジンをかける。

その夜は珍しいものが見れた。こんな田舎でしか見れないものだろう。

流星群だ。

この乾いた星が最後に流した涙なのかもしれない。

 

咽が乾く。

俺は『ダクリュオン』を飲んだ。