乾く星 

 

 

走り続けてもう三日になる。

気が付いたら走っていた。

毎日車を走らせて、ヤツらと追いかけっこだ。

咽が乾く。

俺は『ダクリュオン』を飲んだ。

 

 

世界中に「乾き」がはじまってもう4年になるが、乾いた土地はその範囲を広げていくばかりだ。

今では地球の60パーセントが乾いてしまった。

昔、俺が住んでいた場所も乾きに汚染され、国に指定された危険地帯となりR地帯と呼ばれている。この国で十三八目に乾いた土地だから、アルファベットで十八番目のRが付けられたわけだ。

そこには昔からの付き合いの友人や彼女が今でも住んでいる。

仕事の理由で住んでいた町を出て一年後、俺の古巣は乾いてしまったのだ。

 

乾きには徴候がなく、突然その土地が選ばれる。

雨は失われ、大地が枯れ、植物が死滅する。

川は水が抜け、乾いた川底にヒビが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、およそ潤いをイメージさせるものがその土地からは消え失せる。

乾いた場所に住む者は、やがて体に変化が出始める。

肌はがさつき、唇がひび割れる。

水がなくなるので体を洗う事もない。だから近付けば激しい体臭が体の周囲を包んでいるのが目に見えるようにわかる。

眼球も乾いてしまっている為に瞬きができない。

常に目蓋は開かれた状態にあり、眼球は真っ赤に充血する。

当然声もしわがれ、常に彼等は水を欲して地獄の亡者のように呻く。

極限状態になれば、生物の体液までも欲する。

だから、乾いた土地に猫や犬が歩いている事は稀だ。

彼等は犬猫を発見したら野獣のように飛びかかり、すぐにその血液を吸い取る。

彼等は「吸血症」となって、互いの命までも奪い合うようになるのだ。

乾いた土地となった地域の回りには、高く頑丈な壁が作られ、吸血鬼と化した彼等は他の地域へ流れ出す事はない。

隔離さえすれば無害なものなのだ。

結果は国にとってはよいものかもしれないが、乾いた場所に親しい人間がいる者にはたまらない。

そこで俺のような仕事が存在するわけだ。

俺の仕事は車を走らせる事。それのみだ。

車のエンジンをかけ、アクセルを踏むと同時に後方のパイプから大量の水蒸気が発生する仕組みになっている。

この水蒸気を使って乾いた土地の人間を誘い出すのだ。

そして、車の後をずっと追ってくる彼等を海に落す。

その際にはバリケードの一部を開く事になるが、水蒸気の中での彼等は必死だ。

そもそも彼等は乾いた土地でしか生きる事のできない体質になってしまっている。

乾いた土地を出たしまった彼等は、乾きの呪縛に憑かれてしまっている為にこの水蒸気から離れる事ができない。離れれば即座に体の乾きが進行し、死亡する。

だから他地域で彼等が暴徒となることはない・・・・。

 

そういうわけで今、俺の乗っている車の後方には数十人の乾いた吸血症の人間達が追ってきている。こちらも命がけだ。

水蒸気をとめようものなら、すぐに俺に襲い掛かりその血液を全て抜き取るだろう。

なんて世にも滑稽な追いかけっこなんだ。

元は同じ土地で暮らしていた人間が、今は吸血鬼と化して車から出る水蒸気のオアシスの範囲に入ろうと走ってくる。俺は彼等を置いていかないように、うまく水蒸気の範囲に彼等を入れた状態を保つ為にゆっくりと車を走らせている。

追いつかせる為の追いかけっこ。

こんな趣味の悪い遊びをこの歳になってからする事になるなんて考えもしなかったが、今ではこれで飯を喰っている。

 

何が悲しいって。

後方の軍勢の中に俺の親友のカズヤと、長い間同棲していたエリがいるんだ。

顔は変わり果ててしまったが、明らかにヤツらだ。

 

エリと同棲していたアパートを出た日は雨だった。

今考えてみればあの町では最後の雨になったのかもしれない。

エリは雨を嫌っていた。雲一つない、眩しい日の光の射す日が大好きだった。

逆に俺はジメっとした気候の方が性にあっていた。

俺が乾くべきだったのかもしれない。

 

エリはこの車の運転をしているのが俺だと気が付いているのだろうか。

吸血症になった人間は著しい記憶力の低下が起こる。

理性のない獣に近くなっているのだ。

ただただ、水を欲する乾いた獣に。

獣・・・あのリスのように小柄で愛らしいエリには似合わない言葉だ。

 

親友のカズヤは悪友といった方がうまくはまる。

中学からの付き合いだが、何をするにもあいつと一緒だった。

柴高のヤツらをボコボコにして、喧嘩の現場の喫茶店をめちゃくちゃにした時、あいつと一緒に自主退学したんだ。

それから町の無法者としてデビューだ。

喧嘩とドラッグの毎日。

浜町で外人と喧嘩になり、集団で殴られボロボロになった日の夜、路上で転がりながら、「ああ、こいつとは一生こういう付き合いなんだな」なんて青春ドラマの一シーンのような事を思っていた。エリを紹介してもらったのもカズヤからだ。

 あいつは本当の無法地帯の住人になってしまった。青春ドラマから一転してB級のホラー映画になった。

 

バックミラーを見れば、水蒸気の中から喜びの咆哮が聞こえる。

もはや人間の言葉は失われていた。

水蒸気が出るパイプの入り口近辺は水分濃度が高い為に、追跡者はその位置を奪い合う。そして、パイプに顔を近付け喜びの叫びをあげるのだ。しかし、すぐにこのオアシスの政権交代は行われる。

俺はこういった吸血症になった人間達の親・友人・身内から頼まれ、彼等に安静な時間を送り届ける為にこの仕事をしているのだ。

海に彼等を落し、せめて死ぬ時ぐらいは水のたっぷりある場所につれていってやろうというわけなのだ。

 

 

この仕事をして二週間ほどで、高収入の理由がわかってきた。

ただ危険な仕事だからというわけではない。

いつかは自分の町もターゲットにするかもしれないのだ。途中で逃げ出す事はできない。政府が秘密裏にやらせている仕事だ、この事実を知り仕事をした者は残りの一生をこの仕事で生きていかねばならない。放棄した者はおそらく消されてしまうに違いない。

そんな任務を終えて金をたくさん貰い、どこに俺達は帰えるのだろうか。

そういった色々な覚悟に高額の金が支払われる。

 

走り続けてもすぐに海に到達はできない。

R地帯から海は遠かった。

俺はある林の中で車を止めた。

アクセルを吹かし続ける必要がある。

アクセルをはなしても一分ほどは水蒸気がまだ漂っている。しかし、たったの一分では用をたす程度の時間しかない。この仕事に睡眠時間はない。

水蒸気が止まった瞬間、彼等は俺に襲い掛かり血をすすり、ほどなく彼等も乾き死ぬだろう。

そして、彼等の死んだ場所からまた乾きが広がってしまうのだ。

「乾き」はこの星にとって最悪のウィルスだった。

 

 水蒸気は車を包み、やがて辺り一帯に広がっていく。

国は体の水分に近いこの水蒸気が、彼等吸血症にとって最適のものであると判断し、この車の開発をした。

俺が今飲んでいる『ダクリュオン』はコンビニのどこででも買える飲料水だったが、今では吸血鬼退治に一役かっている重要な薬品だ。

現在では、世界の飲料水となっている。

 

だが、俺にとってはそんな背景はどうでもいい事だ。

俺が乾かない為に、乾いたヤツらを始末する。

それにしても今日は大漁だ。

網に掛かった吸血鬼たちはざっと三十人ほど。エリもカズヤも含めて。

 

 

車を停車して三十分ほどになる。ある事をためしたかった。

後方の彼等は『ダクリュオン』の水蒸気の中で体中に潤いを受けて叫んでいる。

「エリ」

車のウィンドウから呼んでみた。

しかし、猛獣のような声にかき消されたのだろう。

彼女は気が付かない。いや、彼女も猛獣の群れの一員だ。同じように水蒸気の中で絶叫し、踊るようにはしゃぐ、彼女のよいプロポーションが見えた。

幻想的な風景でもある。濃い霧の中で、高らかな声をあげて飛び跳ねるシルエット。

霧深い森林に跋扈する狂気の精霊たち。

だが、彼等はただ「乾いて」いるだけの人間なのだ。

俺がほんの少しアクセルから足をはなしたら、顔も動きも猛獣のそれになるのだろう。

「・・夏男」

水蒸気の中をヨタヨタと歩いてくるシルエット。やがて見覚えのあるひからびた顔が霧の中から見えた。

「・・・そうか・・・気が付いていたか、カズヤ」

カズヤはウィンドウに顔を近付けて笑った。

ひどく頬がこけ、目が虚ろだ。ドラッグにはまっていた時期も似たような顔だった。気のせいか、あの時よりも狂気じみた顔をしている。

「ずいぶんと久しぶりじゃねぇか夏男」

「ああ、元気にしてたか」

カズヤは跳ね回る者達を眺めている。

「ああやって元気なのは・・・今だけだよ」

「・・・・・・・・・」

「なあ夏男、お前・・・俺達を助けに来てくれたんだろう?水がたくさんある場所へ連れていってくれるんだろう?」

「ああ、そうだともカズヤ」

俺は煙草に火を付けた。いつもなら「俺にも一本」と手を差し出してきた。が、乾いているカズヤにとって煙草への興味はゼロに等しいようだ。

「・・なあ・・・車から出てくれよ、喋りずらくて仕方ねぇや、見ての通り・・・ほら、ふらふらでよ」

「出た瞬間に俺の首にガブリ・・・か?」

カズヤは俺の言葉を聞くと忌々しそうに睨んできた。

「俺がくたばればお前らにとってのオアシスは消える。それともカズヤは他の仲間を犠牲にして・・・自分の咽を一瞬だけ潤す為に俺の血をすするか?」

カズヤは歯を剥き出した。

鋭く伸びた犬歯。乾きが体に招いた体異状の一つだ。乾きは伝説のモンスターをこの世に復活させていたのだ。

「乾いて乾いてしょうがねえ・・・早く俺達を水のある場所へ連れていけよ・・夏男」

そう言ってカズヤは絶叫しながら群れの中に飛び込んでいった。

カズヤ、お前はなにか勘違いしている。

吸血症になった人間、いや、ほとんどの国民が乾きを癒すのが「水」だと思っている。

「乾き」は水ではどうしようもないんだ。お前らが水を得たところで、すぐに体から抜け出ちまう。お前らはもう生物の体液を吸うことでしか生き延びれなくなっちまっているんだ。水は人類を見捨て始めた。

今まで人類を生かしていた水は、もう人類を助けてくれはしない。

俺達はあまりにも単純な罰を受けているんだ。

 

気が付くともう二時間近くこうして車を停めていた。

相変わらず後ろでは奇妙な宴が行われている。

数人が倒れたまま動かない。この仕事をしていてよく見かける光景で、最も嫌な気持ちになる瞬間だ。

興奮が高まった彼等は猟奇的な面をさらけ出す。

仲間同士でお互いを噛み合うのだ。彼等に十分な体液はもうない。それをわかっていなからも興奮の余りに「噛む」というもっとも原始的な行動を取るのだ。

カズヤもエリも噛み合っているのだろうか。

 

 

俺はまた走り出す。

血に飢えた亡者たちは走り出す。

滑稽な追いかけっこの再スタートだ。

右足が痺れてきた。ずっとアクセルを踏み続けているのだ。俺は右足の太股を手で揉みながらバックミラーを見た。

吸血鬼の群れの中に明らかに60を越した老婆がいる。

俺は車をさらに減速させた。

老婆はなぜか必死に俺に向かって手を延ばしているのだ。

これではスピードをさらに押さえなくては行けない。もし水蒸気のエリアに追いつけなければ間違いなく老婆は死ぬ。死体がここに置き去りになるような事があれば、この場所も乾いてしまう。しかし、海までの時間を考えると俺の体ももたない。これ以上減速している余裕はない。

車を停めウインドウから顔を出す。

「婆さん、乗るか?」

 

老婆の名前はサエといった。名字は声がかすれていたので聞き取れなかった。再度聞く気にはなれない。彼女は後部座席で『ダクリュオン』の入ったボトルを美味しそうに飲んでいる。優しさではない。もし、R地帯の中で老婆の存在を知ったら間違いなく射殺していた。

旅の足手纏いになるからだ。

それを知らない老婆は涙を流しながら『ダクリュオン』を飲んでいる。

まるで善人になった気持ちで気分は悪くはない。襲いかかってくる事があれば可哀想だが射殺するしかない。婆さん、あんたが悪いわけじゃない。すべてこの乾きが悪いんだ。

 

再度走り出す。

俺はさっきから考えていた。

この「乾き」はどこからやってきたのだろう、と。

そして、どこで止まるのだろう、と。

乾きの連鎖性は不規則だ。

いつ起こるかわからないし、どこがなるのかも予測が付かない。

噂では政府が仕組んでいる事だ、とか新型兵器を使用された、なんてのを聞いた事がある。

ならば最終的に生き残るのは誰なんだろうか。

地球を死の星にする事に何の理由があるのか。

 

三時間走り続けた。

海はまだ遠い。

あと数百メートルで、以前に仕事をしたK地帯に突入する。

ここは何度かの仕事で無人になった町だ。アルファベットが指すように国内で十一番目に乾いてしまった町だ。

ここで何人かが脱落するかもしれない。

ここでは彼等も生きる事ができるが、また乾いた日々を過ごさねばならない。それに俺の仕事がまた増えてしまう。

 

K地帯に突入してからカズヤとエリを見なくなった。

車を停めてしばらくバックミラーで背後の様子を見た。

おいおい、追いかけっこの次は隠れんぼかよ。

煙草に火を付けようとする俺の手にガラスの破片が刺さった。

カズヤが石で車のウインドウガラスを砕いたのだ。

「夏男、不公平なんじゃねぇか、え?」

カズヤは窓から手を延ばして俺の首を掴んだ。

「婆さん、いい待遇だな、俺にもよこせっちゅーの!!」

カズヤは老婆の『ダクリュオン』を奪い取った。

そして、片手で俺の首を掴み、もう片方の手で『ダクリュオン』を握ったまま、割れた窓から入ってきた。

「夏男、こん中快適じゃねぇか。飲み物もたっぷりあるしよう・・へへ」

「俺を殺すのか?」

「別に俺でもアクセルは踏めるんだよ。それにこん中にこれだけ飲み物があれば、しばらく極楽気分だなぁ、おい」

『ダクリュオン』を取られた老婆が咽の奥から叫んだ。

「婆さん、悪いなぁ、でももう十分飲んだろう?」

笑うカズヤ。もう昔の面影はない。

確かに悪い事をいっぱいやってきた。でも、優しさはあった。俺からすれば憎めなくて、いいやつだった。

しかし、今はこいつの笑い声が憎らしい。

乾きは人間の性格までも枯れさせてしまうのか。

カズヤの手が、とても乾いているとは信じられないくらいに俺の首を締め付けた。

 

続く