クトゥルー 魔界監視局
蘆屋道満
あしやどうまん
別名
●道摩
●道満
平安中期の法師陰陽師。
「安倍晴明(あべのせいめい)」と術競べをする人物として登場する事が多い。
『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に「道摩法師」が出ているが、
藤原顕光のの命で「藤原道真(ふじわらみちざね)」に妖術を仕掛けるが、
道真の犬と晴明に見破られ、
本国播磨国に追放されたといわれる。
『峯相記』『東斎随筆』に同じ説話が見え、「道摩」を「道満」に変える。
『ほ(竹冠に甫に皿)き(竹冠に艮に皿)袖裡(しゃうり)伝』
『ほ(竹冠に甫に皿)き(竹冠に艮に皿)抄』
に、道満は晴明と術くらべをして敗れ、
晴明の弟子となる。
後、晴明の入唐虫その妻「利花」と通じて秘蔵のの卜占の書、
『金烏玉兎(きんうぎょくと)集』を写し取り、
帰朝した晴明の首を斬る。
術を用いてこれを知った晴明の師、大唐荊山の「伯道上人」は、
来朝して晴明の遺骨を集め、「生活(しょうかつ)続命の法」を修して蘇生させ、
道満の首を斬り、利花をも殺す。
古浄瑠璃『信田(しのだ)妻』は、晴明・道満伝説を脚色したものであるが、
道満を「蘆屋宿ね(禰の左が示)」の後裔とし、
宿ね(禰の左が示)以来、法道仙人の法術を伝えたとする。
道満の生国は『ほ(竹冠に甫に皿)き(竹冠に艮に皿)抄』に、
薩摩国とする以外は、すべて播磨国とし、
『峯相記』は同国佐用郡の奥に住み、
後裔は英賀(あが)・三宅にあってその芸を継ぐとする。
今日でも、三宅(姫路市飾磨区)には蘆屋家があって、
道満の末裔を称する者がいて、
もと佐用郡仁方村に住んでいたが、後にこの地に移住したと伝えている。
古い記録によれば、この地は赤松満祐に薬を与えた、
「蘆屋道薫」をはじめ、
室町期に活躍した、「蘆屋道仙」「善道」「道軒」「道海」などが
住んでた事が確認されている。
中古以来の説話集にも、智徳をはじめとして、
播磨陰陽師、播磨相人などの活躍が見られるところから、
賀茂、安倍二氏とは別系の陰陽師の拠点であったと考えられる。
京の道満の居所は、『古事談』などに六条坊門万里小路とあるが、
江戸期の地誌類では、大宮通三条南にあったとする。
また日本の各地に蘆屋塚、道満塚、道満井戸など、その伝説を伝えるところが多く、
大和生駒郡安堵村飽波、近江国犬上郡北青柳村長曾根などは道満を
非人の祖と伝え、若狭国では「八百比丘尼(やおびくに)」の父を道満とする伝説もある。
武蔵、会津などでも様々な伝説がある。
また、道満は人形浄瑠璃や歌舞伎でも活躍する。
『信田森女占(しのだのもりおんなうらかた)』においては、
一条戻橋で待ち伏せ保名・晴明の親子を討ち取ろうとするが、
逆に捕らえられて、首をはねられる事になっている。
さらに「信田妻」系統の歌舞伎狂言の代表作で、
「葛の葉(くずのは)」の名で知られる、
『蘆屋道満大内鑑(おおうちかがみ)』における道満は、
はじめ「道満(みちたる)」の名で「安倍安名」のライバルとして登場するが、
三段目で、発心剃髪して、道満と称し、陰陽道に専心することになる。
四段目では、狐「葛の葉(くずのは)」と保名との間に生まれた童子との問答をし、
その聡明さに感心して、童子を晴明と名付ける人物として描かれている。
出身
日本
出典
●『宇治拾遺物語』
●『古事談』
●『十訓抄』
●『日本架空伝承人名事典』
編集委員・・・大隅和雄 西郷信綱 阪下圭八 服部幸雄 廣末保 山本吉左右 平凡社